「分からない」を突破する3つのポイント
こんにちは。Double Bookerのゆりかです
季節は冬になってすっかり寒くなった頃、ある数理学系の学生が一冊の本と格闘していた。ある図書館の片隅での話。
彼は焦っていた。「全然内容が分からない。一体この本は何を言っているんだ?」と。決して書いてある言葉そのものがわからないわけではないのだが、如何せん内容が頭に入ってこないのだ。今すぐにでも目の前の本を投げ出して、もっと言うと深々と降る雪の中に身をも投げ出してしまいたい。さっぱり分からないまま、時間は過ぎていったのである。
気付くと眠ってしまっていた。図書館の静寂さと暖房がとても快適な環境を作り出していたのである。起き抜けの状態でしばらくぼーっとした後、このままではだめだ、と思った彼は紙とペンを取り『なぜ”分からない”のか?』とタイトルを書き付けた。理解できない原因を解明することで”分からない”を乗り越えようと考えたのだ
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とかく、私も本(特に専門書)を読んでいて、どうしても理解できなかったり、全然先に進めないことが往往にしてありますが、そのような状況に陥る原因とその対策をまとめてみました。
1. 簡単な"ミス"を犯している
“ミス"と一言で言っても様々なミスが考えられます。
その一つとして自分自身or作者のミスが考えられます。平たく言うと「誤読・誤解しているorさせている」ということです。
本が読めない時、最初に自身が誤読している可能性にあたってみましょう。人間は簡単に物事を間違って捉えてしまいます。なぜなら一般的に人間は、物事を理解する際に『シェマ』を使って理解しようとするからです。『シェマ』を使って理解するというのは、自身が持っている、物事を認識したり考えたりするための"枠組み"を使って理解しようとする、ということです。
『本を読むと言う行為』は『新しいことを学ぶ』という行為に他なりません。新しいことを学ぶとき、本来ならば"枠組み"を変形させて理解するのが正しい学習です。しかし"枠組み"を変形させるということは大変な労力を要する作業であり、ストレスのかかる作業です(そうではない人もいる)。従って、枠組みを変えることはせず、逆に学ぼうとしている新しい事柄を無理やりにねじ曲げて既存のシェマに当てはめて理解したくなります。認知にバイアスがかかった状態、これが誤解・誤読の原因なのです。
こうした誤読を打開する手立てがいくつかあります。
一つは文章中の『接続詞』に注目して、内容と内容のつながりや文章の構造を注意深く読み取ることです。もう一つは文に含まれる要素(文節)の繋がりに注意することです。そうすることで何が何を説明しているかがはっきりするなど、文章の論理構造がはっきりし、より明確に理解することができるでしょう。
次に、本自体が誤読を誘うような表現で書かれている場合です。誤読を招くような表現が為されていると、その本は一瞬で読むのが難しい本、すなわち"難書"になってしまいます。こういった状況では、読者の我々にはどうすることもできません。その本を読むのをやめるか、幸運にも執筆者とコンタクトが取れる場合は、直接質問してみても良いでしょう。
2. 読者の基礎知識が足りない
著者は本を書くとき、あるターゲットに向けて本を書きます。もちろん万人が読めるような本が書かれることもありますが、必ずしもそうではないようです。例えば中学校卒業程度の学習レベルの人に、いきなりアインシュタインの相対論の専門書を読ませたところで、何も理解しないどころか、本を枕にして寝始めるかもしれません。
この状況を打開するのに大切なことは、「何に関する知識が不足しているから、理解できないのか?」をよく考え、細分化し、足りない知識が何か分かったところで、その事柄を学習をすることです。すなわち理解するための予備学習をするということです。
例えば上の相対論の例で言うと、『より基礎的な物理学』の知識が不足していると考えられます。さらに細分化すると『光速度不変の原理』や『ローレンツ変換』など多数の知識が不足していて、さらに『ローレンツ変換』については『座標や座標変換』についての知識が不足しているかもしれません。このように細分化してみると、読者は「なるほど。座標について勉強すれば良いのだな」と『分かる』ための方策を具体的に考えることができます。知識の積み重ねが大事、ということです。
3. 文章の"行間"が空きすぎている
『文章の"行間"が空いている』とはどういうことなのでしょう。それは『文と文との間に論理の飛躍がある』ということです。例えば「あるおばあさんが桃を拾った。それゆえ鬼は退治された」という文はあまりに行間が空きすぎています。ところが我々日本人は『桃太郎』を知っているので行間を容易に埋めることができます。しかし外国人にとっては見当もつかないでしょう。読書中、こういった行間の開きに出会うことがしばしあります。
本の著者は本を書く位なので、書きたい内容についてよく理解しています。よく理解して知っているが故に、自身は行間を埋めることができるので、意識的あるいは無意識的に論理が飛躍した文を書くことがあるのです。こうした論理の飛躍を埋めるために、2つほど方策を挙げておきます。
一つは『2. 読者の基礎知識が足りない』で述べたような予備学習をすることです。しかし、論理の飛躍というのは『何が不足しているために理解できないのか(行間を埋められないのか)』が分かりにくいため、何を予備学習すれば良いのかわからないことがあります。例えば、「あるおばあさんが桃を拾った。それゆえ鬼は退治された」という文を外国人が見て、「そうか!予備学習として『桃太郎』を読めばいいのだな!」とは気付きにくいのです。
そういった状況では、もう一つの対策として、『一旦論理の飛躍には目を瞑って、結論を認める』ということもしばしば有効です。あまりスッキリせず、モヤモヤとしたまま学習を進めることになりますが、大切なのは『学習を進める』というところにあります。学習を進めた後、理論の飛躍があった部分に再び戻ってみると理解できたり、学習を進めているうちに知識やセンス、雰囲気が身について自分で論理の飛躍を埋めて理解できることがあります。あまり悲観的にならないほうがいいのかもしれません。
まとめ
今回は『分からない』を3つに分解し、そのそれぞれに対して打開するための方針を示してまとめてみました。
以上に挙げたような方策でどうにもならないときは、人に聞いたり、その本を読むのをやめてしまいましょう。その本はきっと今のあなたにとっては高級すぎるのです。他の本で学習を進めてから、いずれチャレンジすれば良いのです。
以上では読書のことについて書きましたが、『分からない』ことが出てくるのは読書だけでありません。例えば人と会話している時も分からないことが出てきます。そういう時も上の3つのポイントに着目して相手に質問してみると、理解するのに必要な答えが返ってくるかもしれません。他にも何か『分からない』状況に直面したらぜひ活用してみてください。
お疲れ様でした。